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名古屋高等裁判所 昭和27年(ネ)191号 判決 1954年3月31日

控訴人 佐藤仁吉

<外一名>

右代理人 野村均一

<外一名>

被控訴人 須崎晃典

<外一名>

右代理人 矢留文雄

主文

本件控訴は之を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

理由

被控訴人等先代須崎たみが名古屋市東区堅代官町十三番地の三宅地百四十二坪一勺を所有していたこと、同人と控訴人佐藤仁吉との間に昭和二十一年八月一日右宅地の内東方八十五坪を賃貸する契約の成立したこと、其の後昭和二十二年一月右たみは右八十五坪の内三十五坪を訴外黒岩一夫に賃貸したので、たみと控訴人佐藤との間に残地五十坪につき賃貸借契約の成立したことは当事者間に争いなく、成立に争のない乙第十二号証、甲第一号証の記載、原審並びに当審証人岩田由之助、同佐藤たけを(但し後記措信しない部分を除く)の各証言を綜合すれば、昭和二十一年八月一日成立の前記賃貸借契約については賃料は一坪一月金二円五十銭、賃貸借期間は二年の約定であつたこと、その後たみが右宅地八十五坪の内三十五坪を訴外黒岩一夫に賃貸するにつき当事者間においてその部分につき賃貸借契約を合意解除し、昭和二十二年二月一日改めて残地五十坪につき賃貸借契約を結び、賃料は一坪一月二円五十銭(但し実測上の坪数が五十坪に過不足あるも賃料は五十坪として計算すること)、賃貸借期間は同日より一年六月と約定したことが認められ、右期日は賃料改定期間に過ぎない旨の前記証人佐藤たけをの証言原審における証人稲垣彌市の証言、控訴人佐藤仁吉本人尋問の結果は措信し難い。而して、原審並びに当審における検証の結果によれば、右賃貸借土地の実測上の坪数は原判決添付目録記載の通りの五十六坪六合三勺(勺未満は四捨五入)であり、控訴人佐藤は右地上に同目録記載の通りの建物を建設していることが認められる。

依て右土地賃貸借契約が一時使用の為めのものであるか否かについて按ずるに、凡そ土地の賃貸借契約が借地法第九条に所謂一時使用の為めのものであるためには、その賃貸借契約における賃貸借期間の長短、契約を結ぶに至つた事情、賃貸借契約の目的、契約当事者の意志等を些細に吟味し、之を綜合して判断し、該賃借権を短期間内に限り存続せしむべき相当の理由の明かな場合であることを要する。今之を本件について吟味するに(イ)先ず賃貸借期間について考察すると、昭和二十一年八月一日成立の賃貸借契約については期間二年であり、之を改めた昭和二十二年一月成立の賃貸借契約については期間一年半であることは前記認定の通りであつて、借地法第九条の好適例として解説せられる祭典、花見等のための土地賃貸借の如く極めて短期間であり、その期間を見ただけで一時賃貸であることが明白なものとは異り、右一年半乃至二年と言う期間はそれより相当長く、期間の点だけで以て一時賃貸であることが明白なものとは言い難いが、一時賃貸のものであると言うためには、右例示せられるが如き極く短期間のものに限るのではなく、期間それ自体に、永続性の素因を含む程長期間のものでない限りは他の諸種の事情を勘案して永続性を目的とせざるや否やを決すべきである。之により本件賃貸借契約における賃貸借期間の点のみによつて判断すれば、一時賃貸に該当すること明白な程の極く短期間ではないが、又一面之に該当しないこと明白な程の長期間でもなく、一に他の諸種の事情を綜合して決論すべきものである。(ロ)次に賃貸借契約を締結するに至つた事情については、原審並びに当審証人岩田由之助、同水野重兵衛の各証言を綜合すれば、本件宅地百四十二坪一勺はその地上の建物が戦災により焼失し空地となつていたところ、たまたま控訴人佐藤は右宅地と同町内において訴外水野重兵衛より家屋を賃借して居り、同様戦災により焼失したが、その敷地を水野より賃借することができず困つていたので、右須崎たみに対し「戦災に遇い家が焼け何か商売をしないと生活に困るからバラツクでも建てて商売でもやりたい。五坪でも十坪でも僅かばかりでよく、半年でも一年でもよく、水野の建物が完成すればそれが借りられるからそれ迄の間一時凌ぎに右土地を貸して貰いたい」と申入れた。たみは「右宅地は八十五坪程残つていて全部は必要ないが、壻が兵隊に行つて復員して来たらそこで陶器商を始めることに決めているから」と言つて拒絶したが、親族の岩田由之助の勧めもあつて、結局たみは臨時的に貸すことを承諾し、なお佐藤において野菜等も作りたいと言つたので八十五坪を賃貸することにし、期間についても賃貸借契約証書を作成するに当り、佐藤が「書類を入れるからには最大限度の期間を貸してくれ」と言つたので二年と定めたことを認めることができる。(ハ)更に契約当事者の意思について言えば、前記認定の通り、須崎たみは壻が復員したら本件土地を利用して陶器商を開業したく、それ迄の期間を最大限二年と予定し、その期間を限つて賃貸する意思であつたことが明かであり、控訴人佐藤においても右事情を諒承して賃借したものであることは原審証人岩田由之助の証言により認められる。なお、成立に争いのない甲第二号証の二の記載によれば、たみの壻養子須崎実(被控訴人温子の夫)は当時応召中であつて、昭和二十二年五月五日受付の愛知地方世話部長報告により昭和二十年七月二十日北部ルソン島において死亡したことが確認される。(ニ)次に賃貸借の目的について言えば、前記認定の通り、控訴人佐藤において本件土地上にバラツク造の仮設的な建物を建築することを目的として土地の賃貸借をしたものであることが明かであり、事実上当初建築せられた建物は原審並びに当審における検証の結果、原審証人岩田由之助、原審並当審証人佐藤たけをの各証言によればバラツク建であつたことが認められる。

前記賃貸借契約における賃貸期間、賃貸借契約を結ぶに至つた事情、契約当事者の意思、賃貸借の目的は以上認定の通りであつて、之等の事実を綜合し、なお次の事実即ち、(イ)須崎たみと控訴人佐藤間に本件賃貸借契約の成立する以前、昭和二十一年夏頃訴外服部正雄が須崎たみに対し本件宅地百四十二坪一勺全部の賃借を申入れたところ、たみは「実が帰還すると同人に商売をやらせなくてはならぬから全部貸すことは困る」と言つてその中西方六十六坪のみを同人に賃貸したが、その後服部は控訴人佐藤がその残地を整理しているのを発見したので、たみに之を詰つたところ同人は「佐藤には臨時的に二年の期限で貸したのだから期限が来れば明渡を受けるものである」と説明したこと(以上の事実は当審証人服部正雄、同岩田由之助の各証言により認める)、(ロ)控訴人佐藤が本件土地にバラツク建築後須崎たみに対し消防署から注意を受けたことなどを理由として本建築許可申請書類に捺印を求めたところ、たみは約定に違うと云つて之を拒絶したこと(右事実は原審証人岩田由之助の証言により認める)、(ハ)控訴人佐藤は前記水野重兵衛より賃借せる家屋の敷地につき同人を相手方とし昭和二十三年六月頃名古屋簡易裁判所に対し右土地賃借の調停の申立をしたが、右調停において佐藤は「須崎たみから賃借した土地は一時的のもので既に立退の要求を受けているため明渡さねばならないから水野の土地を貸して貰い」と主張していたこと(右事実は原審並当審証人水野重兵衛、原審証人岩田由之助の各証言により認める)等の諸般の事情を附加して考察すると、右賃貸借契約は借地法第九条に所謂一時使用の為のものであると断定すべきものである。

以上の認定は昭和二十一年八月一日成立の賃貸借契約につき考察したのであるが、昭和二十二年二月一日成立の賃貸借契約についても、それの成立に至つた事情は、原審並びに当審証人岩田由之助の証言によれば、昭和二十一年八月一日成立の賃貸借契約成立に至つた事情に関し前記認定した事実に引続き、甲第一号証の賃貸借契約証書を作成する直前、訴外黒岩一夫が須崎たみに対し歯科医院を開業するため先に控訴人佐藤に賃貸した土地の一部の賃借方を申入れたので、たみは実が復員しても八十五坪も使用せず、五十坪位あれば十分であると考え、同人に正式に建築することを認めて三十五坪を賃貸し、残り五十坪について改めて賃貸借契約を結び甲第一号証の賃貸借契約証書を作成したことが認められ、その賃貸借期間も前記認定の通り昭和二十一年八月一日成立の賃貸借契約の残期間である一年半であり、法律的には前契約は合意解除となり新契約を締結したものとみるべきであるが、実質的には賃借区域を減じたのみで前契約の継続であつて同一性を保持するものとみるべきであるからその性質も前同様一時使用のための賃貸借契約と云うべきである。

以上の認定に反する原審並びに当審証人佐藤たけをの証言、原審における控訴人佐藤仁吉本人尋問の結果は前記諸証拠に照し措信し難く、その他右認定を覆すに足る証拠はない。

而して成立に争いのない乙第三号証乃至第十一号証の各記載、原審並当審証人岩田由之助の証言を綜合すれば、須崎たみは右賃貸借契約満了前より控訴人佐藤に対し右期間満了後は直ちに右土地を明渡すよう請求していたが、佐藤は当時水野重兵衛に対し罹災都市借地借家臨時処理法に基き土地賃借の申出をなし調停或は訴訟によつて争つていたので、佐藤は之が終了するまで暫く土地明渡を猶予して貰いたいと申出たため、たみは已むを得ず六月或は二月と極く短い期間を区切つて数次に亘り明渡を猶予し来り、その最後は昭和二十五年十月末日までに至つたことを認めることができる。尤も右乙第三号証乃至第十一号には「宅地賃貸料金」又は「地料」と云う文言の記載があるが、精確なる法律的知識を持たない一般人においては賃貸料と損害金とを法律的に厳格に区別して記載したものとは一般的に認め難いので前記文言の記載があるからと云つて之だけで以て昭和二十三年八月一日以降も賃貸借契約が存続するものと断ずることはできない。なお、右認定事実に反する原審並当審証人佐藤たけをの証言、原審における控訴人佐藤仁吉本人尋問の結果は措信し難く、又乙第十三号証は当審証人岩田由之助の証言によれば、岩田由之助が須崎たみに計らずに作成したものであるのみならず、従前佐藤仁吉に対し本件土地明渡の請求を続けて来たのに拘らず之に応じないため岩田が窮余の策として一年の賃貸期間を認めて土地の明渡を求めんとして作成したものであり、しかも右申入は佐藤の拒絶するところとなり契約成立するに至らなかつたことを認めることができるから、右乙第十三号証の存在並びに記録を以て当時賃貸借契約が存続せることを立証する資料となすに足りない。更に甲第九号証には、昭和二十四年十二月五日付を以て佐藤仁吉が本件土地の上に存する建物を同日より五年以内に収去する旨の記載があるが、当審証人水野重兵衛、原審並当審証人森洋一、当審証人伊藤てる子の各証言によれば、控訴人佐藤は水野重兵衛との前記訴訟事件において裁判上の和解成立したが、その際係裁判官の勧めもあつて控訴人佐藤と水野重兵衛との間において佐藤が水野所有の土地を賃借する代りに本件土地を五年以内に明渡して右土地を水野が須崎たみより賃借できるよう好意的に尽力することを約定し、甲第九号証はその趣旨を双方の訴訟代理人が署名作成した文書であることが認められるから(之に反する当審証人佐藤たけをの証言は措信しない)右記載文言を以て須崎たみと控訴人佐藤との間にその後も賃貸借契約が存続していたことを立証するに足りなく、その他前記認定を左右するに足る証拠はない。

以上を要するに、昭和二十一年八月一日成立の賃貸借契約も、之を改めた昭和二十二年二月一日成立の賃貸借契約も共に借地法第九条に所謂一時使用のためのものであり、後者の賃貸借期間一年六月を経過した昭和二十三年七月末日を以て須崎たみと控訴人佐藤間の本件賃貸借契約は終了し、その後数次に亘り明渡を猶予せられたが、昭和二十五年十月末日の経過を以て明渡猶予期間を満了したものと断ずべく、而して被控訴人両名が昭和二十六年四月六日たみの死亡により本件土地の所有権並びに賃貸借上の地位を承継したことは当事者間に争いがないから、控訴人佐藤は被控訴人両名に対し本件土地をその上に存在する前記建物を収去して明渡すべき義務があると云わねばならない。

控訴人の権利濫用の抗弁に対する当裁判所の判断及び被控訴人の損害金の請求に対する当裁判所の判断、控訴人棚橋が控訴人佐藤と連帯して右損害金支払の義務を負うべき点の当裁判所の判断は何れも原判決理由欄に記載してあると同一であるから之を引用する。

以上によつて、控訴人佐藤は被控訴人両名に対し原判決添付目録記載の土地を同目録記載の建物を収去して明渡し、且つ控訴人両名は連帯して被控訴人両名に対し金千九百五十六円及び昭和二十六年十一月一日以降右土地明渡済まで一月金千二百五十円の割合による損害金を支払うべき義務があるから、之を求める限り被控訴人等の請求は正当であり、之を認容した原判決は相当で本件控訴は理由がないから之を棄却すべきものとし、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判長判事 北野孝一 判事 伊藤淳吉 小沢三朗)

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